Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
いつも思うけど当時を知ってる方が若い層にも受けやすいように動画作るの凄いなぁ…
ご視聴頂きありがとうございます。使命感があるわけではないのですが、お知らせすることで共感を頂き満足しております。皆様に色々教えて頂きとても勉強にもなっています。
Twitterでも上野駅6番線のお写真拝見しました!57年前ってすごいなぁ…しかもカラー
ご覧いただきありがとうございます。TwitterはRUclips動画のネタを探すときに皆さんの反応を調べるために使っています。今回とても反応良かったので、写真の修整を急ぎ動画に間に合わせた次第です。未修整の古い写真は多く、特にカラーはここ20年でだいぶ劣化してきているので、デジタル化を急いでいます。また楽しい写真が出てくると思います。
C61 20号機は昔、日豊本線の佐土原駅にて上り客車を牽引して来たところを写真撮ってますが懐かしいです!すす汚れしていた機関車は力強く感じました。
green_lineさん、いろいろご視聴いただき誠にありがとうございます。C61が貨物をけん引していた姿はどう思われましたか?私は気にしなかったんですが、周りはかなり嫌がっていました。
@@Yukkuri-Lab C61の貨物牽引も珍しくて貴重だと思います。蒸気機関車の全てが客車専用ではありません。昔はD60やD50、8600型、9600型、C11、C12も客車や貨物を引いてました。かえって客車よりも貨物を牽引している方が迫力があると思いますが・・昔は貨物主体での物流使用の蒸気でした。最近の動画では貨物がないのが残念です。
貨物もいっぱい登場させるようにしますね。
@@Yukkuri-Lab ご返信ありがとうございます。動画を楽しみにしております。
もうすぐアップします。ご期待ください。
こんにちは。C61の歴史をもとに、C62やC57などあらゆるSLを学ばせていただけたように感じます。貴重なお話しを、ありがとうございます🙇♂️
いつもご視聴いただきありがとうございます。お役に立てれば光栄です。蒸気機関車は既になく、関係者もご高齢になっていますから、このチャンネルではできるだけ広範囲に情報を収集し、皆様と共有できればと思います。皆様がWikiの一方的な情報だけで、(自分もまさにそうですが)良い悪いと判断しちゃうのはちょっとまずいんじゃないかと思っています。
18号機は生首、19号機はボロボロで今も保存されてますね。2号機は脱輪損傷でもはや20号機しか・・・・。うちの仙台市にも昭和何年までc61のトップナンバーが鉄道学園に保存されてたけど解体撤去されちゃった。公人的にはc61は優等生でc60は癖の強いエースって感じです。
いつもご視聴頂きありがとうございます。19号の様子はWebで見ました。生首よりは形が残っているだけましですよね。私は昔鹿児島で同じところにいた撮影していたファンがC61がテンダーが短くて格好悪い!という話を側聞してから、気になってしまい、興味が少々失せたというPTSDを持っています。でもハドソンが営業運転できる状態で残っていることを、幸せに思わなければいけないんだなと思っています。
国鉄史上初にして、唯一のライトハドソンですなC61形はストーカー装備で平坦区間では優れた高速性能を発揮する一方で、ハドソンという車軸配置で動輪上重量が低下して勾配には弱いという困ったちゃんでもありました復活後に信越本線で大空転をやらかして、立ち往生してしまったのは記憶に新しいところです
ご視聴いただきありがとうございます。ラオトハドソンという響き良いですね。趣味的には適度に押し出しも良いし、まあまあのスタイル。実際の性能も優等生ですね。空転多くて自分から走る道を選ぶところがなかなか。とまとめました。
長編成の東北寝台特急と急行運用で、三本木と矢立峠越えはさぞ難儀したことでしょう。
返信遅くなり申し訳ありません。東北にDD51の投入が最優先されたのも理解できますね。C61はストーカーついているので、その分C60よりずっと楽だったようです。特急はくつるのC60の補機もすぐDD51になりました。
2:22 当時の国鉄は動力近代化を命題に掲げていたように思います 蒸気機関車を時代遅れの機械と考えていたのでなるべく乗客に新設列車を牽引している姿を見せたくなかったかも知れません もし蒸気機関車の全廃を5年遅らせていれば電機 ディーゼル機関車の新製を少なくして国鉄末期の赤字も状況がいい方向に変わったかもと思います
まつかぜ82 さん、ご視聴頂きありがとうございます。南アフリカやドイツはかなり無煙化を遅らせソフトランディングできましたし、国鉄もそうしていれば、余剰のDLも無く、労使もいがみ合いもかなり減らせたであろうと思っています。
@@Yukkuri-Lab そうですね そのやり方にしていればC59の戦後型もC60に改造されて余命を延ばせたと思うともったいないと感じます 動画にあった変態でも短命が変わったでしょうね
有り合わせの部品と改造名義でなんとか捻り出しただけでなく、C61が全長軸重ともにC57のアップグレード版としてピッタリ来るように工夫を重ねていたのが分かりました。でも、メカニカルストーカーが利点になっていた一方で、石炭カスの降下が傘が要るほどに凄まじいとは知りませんでした。C60に搭載しなかったのも苦渋の選択だったと想像します。
ご視聴頂きありがとうございます。メカニカルストーカーですが、傘が居るほどシンダが降る経験はC62重連ニセコの爆走ですので、C61がストーカー使っていたのかどうなのか、鹿児島や日豊線ではわかりませんでした。C60が搭載されなかった理由の一つが製造時期にあって、石炭の質が向上したという判断もありました。なんかいいわけみたいですね。日豊本線で機関助手さんに聞いたときは自分はほとんど使わず手炊きということでした。
@@Yukkuri-Lab さん 遅れましたが、ストーカー使用の実態を教えていただきありがとうございます。うーむ、様々な運行の条件次第で、ストーカーは便利にもなれば無用にもなりうる、けっこう面倒くさい装置だったようですね。 あと、上野駅6番線ホームと20系客車「はくつる」の写真がなにか、来るというか染みますね。自分が生まれるより前のシーンなのに。20系客車だけがカラーで再現されているせいでしょうか。
修正の手間を考えるとBWが早いのですが、訴求力が全然違うのでできるだけカラーの修正をかけてみました。
C60にはストーカーの代わりに重油併燃装置が搭載されたのでは?
C60は9~17を重油併燃にする計画で、実際にC60 9がタンク載せた写真がありますが、実際には使われなかったようです。もし本格的に導入されていたら僅かながらC60の方が勝っていたかも。
C61 20はJR東日本のSLでは最大ですが、軸重はC58 239に次いで2番目に軽いわけですね。大型SLは重いものとばかり思っていたので意外でした。SLぐんまはC61含めて色々ありましたが、なんだかんだ運行日数も去年より増えてきており、イベントなどにも力を入れてくれているようで嬉しい限りです。
SATOさん、ご視聴頂きありがとうございます。高崎のD51調子悪くてC61になっていますね。12系とのだと出かける気力に欠けてまだ行っていません。
C 61は、僕が少年時代群馬県にいた時(5年前)20号が動いているのを前住んでいた団地から眺めていました。C61 20とD 51 498がすれ違うとこも見たことあります。
ご視聴頂きありがとうございます。いいですね。ご自宅から機関車が見えるなんて。私は高崎に引っ越したいと言ったら(蒸気が間近なので)大反対されました。高崎っていいところですよね。
いやあのみなかみです。
みなかみ町後閑にすんでいました。後閑駅からみなかみ駅までの区間で、ちょうどすれ違うところを見れるのは、後閑しかありません。(七夕の日にすれ違います。)
あの~もしよければ僕が上げてるC 11 66号の動画取り上げてもらえませんか?
昔498号が展示されていた駅ですよね。後関はいったことがあります。そういえば七夕のすれ違いなんてイベントもありましたね。
c61といえば昭和49年頃、大阪姫路間で運転されたSL白鷺号を須磨でみています。これ以降梅小路のc612は、運転されていません。しかも梅小路構内で脱輪してからは、展示運転もされていません。
もりわききくおさん、ご視聴いただきありがとうございます。脱線した時の動画見ましましたが、作業エラーだったようですね。きっと台車を曲げちゃったんでしょう。動けなくなって残念です。ちょうど良い大きさの機関車だったので特に。
日本の鉄道車輌に付き纏う軸重という名の十字架…
ご指摘いただいてありがとうございます。南アフリカは日本と同じ狭軌ですが、線路はかなりの高規格で、その軸重に対する十字架があまり無いと認識しています。一方満鉄では自由な発想で柔軟な設計ができ、良い機関車が出来たと思っています。
いつも楽しく拝見しています!2年前に亡くなった九州出身の父親が、生前たまに蒸気機関車牽引の夜汽車の思い出話などをしていまして、もしかすると動画で紹介されてる鹿児島本線のC61牽引列車に若い頃乗ってたのかなと思うと胸が熱くなりました。C61は群馬での動態保存の印象が強かったのですが、現役の頃の写真やエピソードなど当時を知らない私にはとても新鮮で面白いです。過去と現在をつなぐような素敵な動画をこれからも楽しみにしています。
ご視聴いただきありがとうございます。素敵なコメントも頂きとても嬉しいです。特に九州と北海道は最近まで蒸気機関車が現役でしたし、蒸気機関車への依存度も高かったので、思い入れも大きい地方なんだろうと感じています。時代は変わって行き蒸気機関車以外の機関車を見たことが無い人も増えましたので、この動画がそのような方々に何か思うきっかけを与えられたり、その昔経験された機関車を思い出していただければと思いながら製作しております。これからもよろしくご支援いただきますようお願いいたします。
いいですねぇ😃なんで、SLっていいんですかねぇ😆SL見てると、胸の奥が熱くなります👍️
ご視聴頂きありがとうございます。動画ご覧いただき何か感じていただけたら、本当にうれしいです。今後の活動への励みになります。
梅小路のC61は修復中ですけどかなり時間がかかるそうですね。1 C61よりC57を修理したい(C57の修理が完了しないと予算がおりなさそう)2 例の事故から時間が経っているのでボイラが痛んでいる といった理由からですね。最近見たら、ロッドにびっしり付いていた赤錆はとられていましたね。たしかにC57の4次型はC59もどきと呼ばれる時があるのでC61も同じ類なんでしょうね。
ご視聴頂きありがとうございます。C61-2の最新情報もありがとうございました。C57の4次形は好き嫌いが分かれていて、私はC59に似ているので好きです。別の型式を付けても良い暗いと思っていました。
@@Yukkuri-Lab ですよね。だとしたらC63もあったかも…。
C61形の東北本線の寝台特急はくつる号、酒列車でもあった。
ご視聴頂きありがとうございます。昔の寝台は酒臭かったり、タバコこっそり吸っていたり、お行儀良いとは私には思えませんでした。一等寝台乗るお金は無いですから仕方ないですね。
@@Yukkuri-Lab 清酒白鶴酒造の白鶴酒パックの飲んべえ乗客が多かった事。座席が板ベンチがボックスシートの夜行急行津軽や八甲田号ならもっと凄いことになっていた。
当時のはくつるは寝台だけでなく座席車両も連結していましたから、そんな状態だったのでしょうね。わたしは十和田と八甲田に良く乗りましたが、昼間発車を選んでいたので、座席車で嫌な思い出は無いです。
@@大坂孝幸 さん実際後年常磐線の中距離電車や客車列車で車内酒盛りが問題視され又乗客、特に若いOLや女子大生からは徹底的に嫌われ、415系500番台登場時には「座れなくなる。ロングシートは嫌だ」と言うサラリーマンや「酒盛り出来なくなる」と言うブルーカラー層からの不評と「これで車内宴会で酒臭い車内から解放される」と言う女子大生やOLの両手上げての大歓迎が相半ばしてましたからね。急行ときわの特急化も「客単価上げてブルーカラーのオッさん締め出して車内風紀を改善する」が第一目的ですからね。実際急行ときわより高速バスや特急ひたちに乗るOLや女子大生は多かった、特に高速バスはタバコの臭いからも解放されるので女性には大好評でしたね。
そういえば東京駅八重洲から神栖や鹿島方面行きのバスの本数すごい多いですね。選択肢が増えることはとても良いことですが、鉄道に頼らないと生活できない状況が日本には消え去ったのですね。
良い情報ありがとうございました😊C61は扱いにくい機関車でDD51の後塵を拝している印象が強かったですが強い機関車がったのですね😂見直しました😂
プさん、ご視聴頂きありがとうございました。C57のアップグレードと考えれば、DD51は負けちゃうと思います。
C61、C57の代替機として製造されたので地方でも使えるようにテンダー容量が少ないのが特徴、同じように軽量化したC60が敬遠されたのは改造母体のほとんどがC59の前期型でボイラーそのものが製造不良で老朽化してたからでしょう。反対にC61が改造名義とは言えボイラー載せ替え元のほとんどD51は戦時生産タイプで状態不良もあってボイラーを再度新品に交換してますからね。C59の戦後型を幹線用としてまだ残したかった。C57は改良された4次型ではC59をコンパクトにしたような外観でした。乙線用にしてももう少しパワーが欲しかったのが現場の要望だったのではないでしょうか?なのでC57の継続生産よりC61として製造する方が現場としても望んでいた可能性もありますね。
Mr. Yattsunさん、ご視聴頂きありがとうございます。コメント興味深いですね。特に>C59の戦後型を幹線用としてまだ残したかった。これ確かにそうかもしれませんね。C62並みの運用できますから貴重と言えばそうですね。別の動画でも言いましたが、C61ってC57より軸重軽いですね。でも重いから活躍場所に制約ありました。
C61って意外と軸重が軽くてびっくりしました。C61牽引の寝台特急乗ってみたかった……
ご視聴いただきありがとうございます。そうなんです、軸重は軽いのですが重量はしっかりあって、出力が高いから勾配や曲線が多いと空転が多発するんですね。ちょうど函館本線の山線のC62みたいです。日豊本線のブルトレ富士が唯一可能性があったことで、蒸気最後のはなむけでC61牽引を走らせるだろうとかなり期待したのですが、無理でした。実際乗客にとってはDF50でもC61でも窓が開かないから分かりませんし、写真撮るファン向けサービスになってしまいますからね。
私は知らなかったのですが、24系残っているのですか?稼働できるのですか?
C61形2号機,早く動態復帰してほしいな!20号機は今も動いているのに…脱線から4年も経っているのにまだ動いてないとは!
ご視聴いただきありがとうございます。本当にそうですよね。JR西とは言え元々我々の財産でしたよね。今後のC61の工程表くらい発表しても良いと思います。台車に亀裂でもあったらお終いなのですが。
C61は力強くて均整の取れたルックスですね。以前C62はデブだから嫌いだと言っていた同級生がいました。
ご視聴いただきありがとうございます。C61は確かに新しい時代の機関車のようでルックスは良いですね。しかしながらC60は同じハドソンとしてさらに格好良いと思っています。是非C60の動画もご覧ください。C62はサイズで限界を極めている点でそれはど迫力ありますね。
ストーカーと聞くともう一つの意味を考えてしまったストーカーの威力
ぱかすけしましま さん、ご視聴頂きありがとうございます。私は最初はストーカーと言っていましたが、最近はストーカというようにしています。
ヘッドマーク付き「はくつる」のカラー画像…ありがとうございます…m(_ _)m
ご視聴頂きありがとうございます。こういったレアものの写真ですが、長く皆様に出し惜しみで小出しにしているのではなく、ネガやポジの修正にとんでもない時間がかかってしまうのが困りごとです。もっと楽しんでいただける絵をこれからもご提供できるよう、作業の迅速化を図っていきますのでこれからもご支援よろしくお願いいたします。
動画の7:40あたり見ててふと思ったのですが、もしナメクジのままC61になったらプチ流線型みたいでカッコイイのでは?と想像してしまった^ ^
ご視聴頂きありがとうございます。現実的に戦後のD51では若い番号が使われたのでナメクジは無理だっんです。でもきっとユニークで格好イオC61になった事でしょう。
東北と九州でよく活躍してた上に大型機なのがeh500の金太郎と共通点が多いな
EH500を昨日渋谷で撮影して来ました。通院で仕事抜け出したついでにです。都心で日中に金太郎が走るミスマッチが堪らないです。
無残にも解体された1号に捧ぐ
石井さん、ご視聴頂きありがとうございます。そうでしたね1号機無かったですね。その点、C62は1~3が現存ですからやっぱりみんなC62は好きなんですね。
今後、仙台で修復されようとしているC60形式は、ベビーパシフィックC59からハドソンに改造されたものです。
ご覧いただきありがとうございます。おっしゃる通りですね。ぜひC60の動画もご覧になって頂きコメントいただければ嬉しいです。
C61は優秀なカマでしたメカニカルストーカーが装備されているから機関助士の負担が減って良かったけどこれが故障すると大変でスジ屋はストーカーありきで、スジを引いているので機関助士はとんでもない苦労をしいる羽目になります。なお九州内では特認車両として宮崎~延岡で走行しておりました。1号機は仙台にある学園の敷地内におかれ、その後解体されてしまいました。(20号機のストーカーは破損が酷く復元不可能でした)
ご視聴頂きありがとうございます。C61の九州は平たんなところが多いからストーカーはあまり使わなかったんだろうと勝手に思っています。手炊きと共用という意味です。ただはくつるの奥中山の話を読んで前補機のC60の助手さんの疲労度は極限だったそうですが、C61はストーカーがあるので全然楽だったと知り、C60の限界を知りました。こちらの視聴者様から伺い20号はやはりストーカー外していたのを知りました。破損が酷かったのですね。納得です。
スポーク動輪のC55が動態化されないかなぁ
快舟さん、ご指摘ありがとうございます。C55ー1は梅小路に来たときは動いていたんですけどねぇ。
@@Yukkuri-Lab そうですねぇ、それでもC61は動態保存機として珍しいですから。これはこれで。
C61は高崎で大事に動態保存されていますから、選択せよとなればC59とかC55かな?とおもいます。
日豊本線南部はC55やC57が普通に貨物列車牽いてましたね。当時鹿児島運転所の近くに住んでいて、運転所の側にある専売公社のたばこ工場へ貨車を牽いたC55やC57が入っていくのを良く見に行ったものです。霧島超えの旅客列車はほとんどDF50牽引になっていて、蒸機牽引は見た事ありません(日南3号を含め都城以北は割と走ってましたが)。単線だから列車交換で休み休み走る貨物列車は蒸機牽引で良かったのかもしれませんね。
ご視聴いただきありがとうございます。当時の小生の行動パターンは、ネガを見ていると都城と宮崎の間、都城から吉松の間が多いです。一度霧島神宮へ行ってC57を撮影したときは、貨物だけで客車は確かに無かったと思います。その時の移動の列車の中で、トンネルに入る前に車掌のアナウンスで「この前の列車が蒸気機関車だったので、トンネルの中で煙が入るので窓を閉めてください。」とあったので、蒸気機関車の労働環境改善のためでしょうか、こちらにDF50を多く投入したのかも知れませんね。
C61も特急、急行運用が前提の機関車ですから九州の貨物単機での使用はかわいそうですね。千歳線(旧線)の補機としてC57を使用していたのは聞いたことはありますが。でも運転側にすれば出力に余裕があるのは楽でしょうし、整備側もボイラーがD51のものなら勝手知ったるのものだったでしょう。もちろん提供ボイラーの問題もあったでしょうが、33両しか作られなかったのは残念ですね。100両位あっても良さそうな機体ですが。
ご視聴頂きありがとうございます。動画で自分の考えを言ったことですが、33台分のD51のボイラーが余っていたので作ったもの。後年足りなくなるのはわかっていて、C59を改造することも長期プランに入っていたと思います。ですからD51のボイラーが余っていなければ、C61は無く、C57の4次形をもっとたくさん作っていたでしょう。
動画ありがとうございます。C61とC60の使い方でC61はストーカーが付いているのでシンダが多いから窓の空かない20系の牽引に回し、C60は旧型客車に回したと聞いたことがあります。真偽は不明ですが。
ご視聴頂きありがとうございます。ストーカー付きの爆煙のシンダーのひどさはC62ニセコで経験しました。大げさではなく傘が必要なぐらいバラバラ落ちてくるんですよね。ニセコの冷房車の一等車ならいいでしょうが、普通車はきつかったでしょう。もっとも昔の旧型客車にはシンダが入らないように1枚金属製のサッシがありました。現行の高崎の旧型客車ってついているのでしょうか?
C61 20については、JR東日本の変化なのか運行日が決まりましたね。4/29のDD51と入れ替わったのは、両方のファンとしては複雑な気分ですが。C61の軸重って、本当に軽いんですね。C57やC58の軸重と、そんなに変わらない。それだけに大きなボイラーからの蒸気発生量を生かしての急行仕業で活躍したとか。軽いからこその「踏ん張りが効かない」「ストップ&ゴーが苦手」の弱点が、C61 20がC58 180の代役として『ばんえつ物語』仕業に入った時に露呈するとは。実家で父が撮った写真アルバムを見ていて、梅小路蒸気機関車館(1986年)時代のC61 2がありました。C61 2とD51 200がモクモクと煙を吐き、その前で耳を塞いでいる小さな私と兄の後ろ姿もありました。両方とも赤プレートだったから、検査明けだったのかも。11番庫後方が展示線だった時代です。梅小路のC61 2は、例の脱線事故以来、火が入っていない様なので、色々と不安です。本線運用中のC57 1とD51 200が優先されるのは当然としても、小型で使い勝手の良いC56 160、元々大人気のC62 2、『鬼滅の刃』で一躍注目が集まった8630。C61 2の影が薄くなってる様な...。
ご視聴頂きありがとうございます。梅小路昔は煙もくもくでした。今は喫煙コーナーでしか許されないのですか?C61-2はきっと大丈夫ですよ。予算の関係で遅れているだけではないでしょうか。C11の化粧直しも終わったので、そろそろ始まるのではないですか?私は新幹線からは見るのですが、数年行っていません。調べたいことがあるので、是非行きたいのですが。
@@Yukkuri-Lab 1986年当時は、最初から静態保存であったB20、C51、C53、C59、D52を除いて全て『有火保存』対象で、絶えず3〜4両は火が入っていた様です。父も「弁天町(交通科学博物館)で喜んでいるお前たちに、本物を見せたくてな」「山口は遠すぎたから」と言っていました。実際にC11 64にも火が入っていて、その前のでの写真もありました。当時は無邪気に喜んでいた記憶しかないのですが、今とは比較にならない位にモクモクだったのではないかなぁと。
梅小路が開館した当初と今は本当に変わりました。以前は機関区のままで入場者のための通路があっただけだったと思います。C62一文字の動画にありますが、扇型庫の後ろに線路があってそこで展示運転していました。当時の面影を追ってしまう私達にはかなり淋しいのですが。
高崎のC61 20はレストアの際にメカニカルストーカー(自動給炭機)を撤去した為に重量バランスが悪くなって空転を起こしやすくなったみたいですね。撤去部分に死重のようなウエイトを搭載しておけば、幾らか良かったかも知れないですが…。メカニカルストーカーを使用すると細かい石炭カスが凄まじかったとの事ですが、乗務員にとっては負担軽減で好評だったのは間違いなかったみたいですね。
なるほど、ストーカーを取り外したことで重量バランスが崩れたことは十分考えられますね。というか上越線はC61の走る場所ではないのでは?とおもいます。C62の山線みたいなところですから。ストーカーは別の視聴者様にもお返事したのですが、シンダの降り注ぎは半端ないです。音を立ててバラバラ落ちてくるイメージです。C62ニセコでしたが、これは当時でも酷いと感じました。
@@Yukkuri-Lab 故にC62が東海道本線で特急牽引する時はストーカーは使わず手焚きで重油併燃をしてましたね。東海道本線の特急は専用の高カロリー練炭を使っていたのですが、ストーカーで粉砕されてカスが多かったそうです。山陽本線のあさかぜは昭和33年秋以降は全く気にせずストーカーガンガン使ってたそうです。又はつかり牽引でもオシ17が使用されるようになってからストーカー使いまくっていたそうです。
昔C61の延岡駅だったと思いますがストーカーを操作させていただいたことがあって、ガリガリガリ・・・シューシューという感じでした。九州では練炭では無かったので、C62ニセコの練炭だと細かく粉砕されてさらに状況は酷かったというわけでしょう。
名機D51のボイラーを流用したC61。動輪配置ハドソン(2-C-2)はやっぱり見ごたえがある。同クラスのパシフィックC57「貴婦人」もいいが、希少なハドソンでC62の影に隠れていてもやはりこのC61はやはり良い。
ご視聴いただきありがとうございます。ハドソンは足回りの凝縮感がいいですよね。個人的には日本の機関車で一番好きなのはC59なのですが、足回りがぎっちりしているのでC60も好きです。その面影を持っているC61も良いですね。パシフィックではC57の四次型がスッキリしつつC59の面影を持っていて好きです。
C61の実性能はC60100番台>C61>C600番台と言ったところですね。これは原型機の熱効率差がモロに反映されているからで燃焼室付きでD51より効率の良い戦後型とボイラー長過長でD51より熱効率の悪い戦前型の差です。
ご視聴頂きありがとうございます。鋭いご賢察もとても興味深いものがあります。個体での差はともかくとして、C60がC59と一緒に消え去りC61はその後も蒸気最後まで残ったことを見ると、やはりC61は使い勝手がよかったのか、たんに運が良かったのかですね。
C61は、ボイラーの太さのバランスが良くて好きと言う人が、多いです。
ご視聴頂きありがとうございます。個人的にはC61を取り上げてC60の方が格好いいでしょうと言いたかったものです。テンダーの短さが…
同時期に登場したC62が余りにも華やかだったものだから、それに隠れてC61は若干マイナーな機関車だったのは否めない。確か東北線でも貨物列車を牽いてたと思う。
鉄道模型大好きおじさん、ご視聴頂きありがとうございます。C61は東北と九州だけでしたからメジャーだったとは言えませんね。C60も同じでけど。東北本線の貨物というのは急行荷物列車ではないでしょうか?
なるほど。そうでしたか。
C6120号機がJR東日本高崎車両センター配属で、動態保存されているが、京都鉄道博物館の動態保存機C612号機は、修繕工事に時間がかかり、本格的な改修工事に入っていない。早く、本線走行シーンを見たいものだ。
いつもご視聴頂きありがとうございます。20号は4月から営業運転再開ですね。このまま休車にでもなるのではと心配していたのでホッとしました。2号機は梅小路開館当初白鷺号とかを姫路まで走らせましたね。もう一度そんな姿が見られるのか?期待したいですね。
現状では本線走行させる区間がそう無いですから困難理由は山口線はC57とD51で賄えるし北陸本線米原ー木之本間ではC56運行当時でも大赤字でしたからね。赤字の原因はSLそのものの運行経費と経費の割にお金が地元に落ち無いことです。実際撮り鉄はサクッと車で来て地元の産品も全く買わずに食事はカップ麺で済ませてゴミだけ置いていく、通過後悪態ついてさっさと逃げる、クズが多く、昔みたいに撮影地近隣まで電車で来て後は道具持って徒歩で行く、帰りの食事は地元の食堂又は駅弁食べるので地元にお金が落ちる、と言う事が無い、つまり「良い映画はちゃんと正規のお金払って見る」と言う習慣が根付かないと復活は無理でしょうね。実際C62が復活しないのもこれが原因。北海道で復活したのはUCCがお金出していたから(カフェカーもUCCが営業)で、デフレでUCCが赤字になると運休に追い込まれましたからね。
C62ニセコも青函トンネルを通ってJRでやってくるファンを少しは期待したようですが、私を含めて多くが飛行機だったですね。徹底的に収入増に拘るならば英国に倣って、豪華ディナー列車を上野や東京から走らせて高崎から蒸気にするとか。一人一万円は超えますけど集まるでしょうね。でも食堂車が無いですね。
@@Yukkuri-Lab 結局目先の銭勘定に走らざるを得なくした大和魂と燃える男の根性と気合いで我慢して鉄道を使うべきなのに使わない目先かつ自分の利益しか追わずそのくせプライドだけエベレストより高く常に上から目線でしかものが言えずそう言う態度しか取れない日本人のどうしようもなく物臭でぐうたらな癖にどうでもいい時だけ出るせっかちさ、全てはこれです。
厳しいご指摘いただきありがとうございます。そうですね、英国ではツアー運営会社が募集して、機関車+食堂車でツアーを企画して走らせていますね。遠いところから乗らなくても、ロンドンのど真ん中から発車している。それが年一回ではなく毎週どこかで複数のツアー会社がやっています。日本で言うと貸切バスツアーですが、英国だとそれが蒸気機関車で成り立っていて、頻繁にあるので別に珍しいわけではないので、駅や沿線が激パにはならない好循環が成り立っている。なぜ日本でそれができないのか深く研究したわけではないので軽々に言えませんが、昔のC62ニセコの失敗が尾を引いているのではないでしょうか。
昭和47年、どうしても61に逢いたくて宮崎へ、ところが梅雨末期の大雨と重なってしまい結局大淀川橋梁で少し写せただけ。夕方まで粘るつもりが、日豊線が大雨で止まりそうとの情報で急遽、西鹿児島発の (きりしま) に変更、日南線・大隅線の (しいば) で鹿屋へ、そしてバスとフェリーで西鹿児島へ。ところが大雨は熊本に、鹿児島発の夜行で関西方面行きで動いたのはラッキーな事に (きりしま) だけ。(きりしま) も遅延確実で発売停止になっていたらしくて緑の窓口では大騒動。がら空きの583も熊本付近で停まってしまったらしく、京都へは4時間近く遅れて到着、なんて事が。
ご視聴頂きありがとうございます。わたしも昭和47年の8月に北九州に行ったとき集中豪雨にあってひどい目に会いました。九州は天候も強烈で、虫(蚊とみみず)もでっかくてカルチャーショック受けました。
@@Yukkuri-Lab 様返信ありがとう御座います、私は7月の10日位でした。別府から行橋までの最終鈍行では雷が、そして行橋駅の待合室では大量の蚊が出迎えてくれました。
私は吉都線の駅ででっかい蚊に刺されて、50年以上たつのにまだ足の甲に傷が残っています。九州の蚊は恐ろしいです。
やはりC59 改造のC60を大宮鉄博に保存してほしかった。できればイギリスのように新しいボイラーに載せ変えて本線を走らせられないだろうか? 記憶が正しければ鉄道ファンにC601 とC61の重連によるはくつる青森駅到着写真が載っていたような気がする
ご視聴頂きありがとうございます。C60が動態となればうれしいですよね。でも仙台市民が手放さないでしょう。はくつるは青森到着が6:10なので日が長い時期は走行写真も撮れたでしょう。C60の前補機は半年ぐらいでDD51に変わっちゃったんですよ。
いつも思うけど当時を知ってる方が若い層にも受けやすいように動画作るの凄いなぁ…
ご視聴頂きありがとうございます。使命感があるわけではないのですが、お知らせすることで共感を頂き満足しております。皆様に色々教えて頂きとても勉強にもなっています。
Twitterでも上野駅6番線のお写真拝見しました!57年前ってすごいなぁ…しかもカラー
ご覧いただきありがとうございます。TwitterはRUclips動画のネタを探すときに皆さんの反応を調べるために使っています。今回とても反応良かったので、写真の修整を急ぎ動画に間に合わせた次第です。
未修整の古い写真は多く、特にカラーはここ20年でだいぶ劣化してきているので、デジタル化を急いでいます。また楽しい写真が出てくると思います。
C61 20号機は昔、日豊本線の佐土原駅にて上り客車を牽引して来たところを写真撮ってますが懐かしいです!すす汚れしていた機関車は力強く感じました。
green_lineさん、いろいろご視聴いただき誠にありがとうございます。C61が貨物をけん引していた姿はどう思われましたか?私は気にしなかったんですが、周りはかなり嫌がっていました。
@@Yukkuri-Lab C61の貨物牽引も珍しくて貴重だと思います。蒸気機関車の全てが客車専用ではありません。昔はD60やD50、8600型、9600型、C11、C12も客車や貨物を引いてました。かえって客車よりも貨物を牽引している方が迫力があると思いますが・・
昔は貨物主体での物流使用の蒸気でした。最近の動画では貨物がないのが残念です。
貨物もいっぱい登場させるようにしますね。
@@Yukkuri-Lab ご返信ありがとうございます。動画を楽しみにしております。
もうすぐアップします。ご期待ください。
こんにちは。
C61の歴史をもとに、C62やC57などあらゆるSLを学ばせていただけたように感じます。
貴重なお話しを、ありがとうございます🙇♂️
いつもご視聴いただきありがとうございます。お役に立てれば光栄です。
蒸気機関車は既になく、関係者もご高齢になっていますから、このチャンネルでは
できるだけ広範囲に情報を収集し、皆様と共有できればと思います。皆様がWikiの一方的な情報だけで、(自分もまさにそうですが)良い悪いと判断しちゃうのはちょっとまずいんじゃないかと思っています。
18号機は生首、19号機はボロボロで今も保存されてますね。2号機は脱輪損傷でもはや20号機しか・・・・。うちの仙台市にも昭和何年までc61のトップナンバーが鉄道学園に保存されてたけど解体撤去されちゃった。公人的にはc61は優等生でc60は癖の強いエースって感じです。
いつもご視聴頂きありがとうございます。19号の様子はWebで見ました。生首よりは形が残っているだけましですよね。私は昔鹿児島で同じところにいた撮影していたファンがC61がテンダーが短くて格好悪い!という話を側聞してから、気になってしまい、興味が少々失せたというPTSDを持っています。
でもハドソンが営業運転できる状態で残っていることを、幸せに思わなければいけないんだなと思っています。
国鉄史上初にして、唯一のライトハドソンですな
C61形はストーカー装備で平坦区間では優れた高速性能を発揮する一方で、ハドソンという車軸配置で動輪上重量が低下して勾配には弱いという困ったちゃんでもありました
復活後に信越本線で大空転をやらかして、立ち往生してしまったのは記憶に新しいところです
ご視聴いただきありがとうございます。
ラオトハドソンという響き良いですね。
趣味的には適度に押し出しも良いし、まあまあのスタイル。実際の性能も優等生ですね。
空転多くて自分から走る道を選ぶところがなかなか。とまとめました。
長編成の東北寝台特急と急行運用で、三本木と矢立峠越えはさぞ難儀したことでしょう。
返信遅くなり申し訳ありません。東北にDD51の投入が最優先されたのも理解できますね。
C61はストーカーついているので、その分C60よりずっと楽だったようです。
特急はくつるのC60の補機もすぐDD51になりました。
2:22 当時の国鉄は動力近代化を命題に掲げていたように思います 蒸気機関車を時代遅れの機械と考えていたのでなるべく乗客に新設列車を牽引している姿を見せたくなかったかも知れません もし蒸気機関車の全廃を5年遅らせていれば電機 ディーゼル機関車の新製を少なくして国鉄末期の赤字も状況がいい方向に変わったかもと思います
まつかぜ82 さん、ご視聴頂きありがとうございます。
南アフリカやドイツはかなり無煙化を遅らせソフトランディングできましたし、国鉄もそうしていれば、余剰のDLも無く、労使もいがみ合いもかなり減らせたであろうと思っています。
@@Yukkuri-Lab そうですね そのやり方にしていればC59の戦後型もC60に改造されて余命を延ばせたと思うともったいないと感じます 動画にあった変態でも短命が変わったでしょうね
有り合わせの部品と改造名義でなんとか捻り出しただけでなく、C61が全長軸重ともにC57のアップグレード版としてピッタリ来るように工夫を重ねていたのが分かりました。
でも、メカニカルストーカーが利点になっていた一方で、石炭カスの降下が傘が要るほどに凄まじいとは知りませんでした。C60に搭載しなかったのも苦渋の選択だったと想像します。
ご視聴頂きありがとうございます。メカニカルストーカーですが、傘が居るほどシンダが降る経験はC62重連ニセコの爆走ですので、C61がストーカー使っていたのかどうなのか、鹿児島や日豊線ではわかりませんでした。C60が搭載されなかった理由の一つが製造時期にあって、石炭の質が向上したという判断もありました。なんかいいわけみたいですね。
日豊本線で機関助手さんに聞いたときは自分はほとんど使わず手炊きということでした。
@@Yukkuri-Lab さん 遅れましたが、ストーカー使用の実態を教えていただきありがとうございます。うーむ、様々な運行の条件次第で、ストーカーは便利にもなれば無用にもなりうる、けっこう面倒くさい装置だったようですね。
あと、上野駅6番線ホームと20系客車「はくつる」の写真がなにか、来るというか染みますね。自分が生まれるより前のシーンなのに。20系客車だけがカラーで再現されているせいでしょうか。
修正の手間を考えるとBWが早いのですが、訴求力が全然違うのでできるだけカラーの修正をかけてみました。
C60にはストーカーの代わりに重油併燃装置が搭載されたのでは?
C60は9~17を重油併燃にする計画で、実際にC60 9がタンク載せた写真がありますが、実際には使われなかったようです。
もし本格的に導入されていたら僅かながらC60の方が勝っていたかも。
C61 20はJR東日本のSLでは最大ですが、軸重はC58 239に次いで2番目に軽いわけですね。大型SLは重いものとばかり思っていたので意外でした。SLぐんまはC61含めて色々ありましたが、なんだかんだ運行日数も去年より増えてきており、イベントなどにも力を入れてくれているようで嬉しい限りです。
SATOさん、ご視聴頂きありがとうございます。高崎のD51調子悪くてC61になっていますね。
12系とのだと出かける気力に欠けてまだ行っていません。
C 61は、僕が少年時代群馬県にいた時(5年前)20号が動いているのを前住んでいた団地から眺めていました。C61 20とD 51 498がすれ違うとこも見たことあります。
ご視聴頂きありがとうございます。いいですね。ご自宅から機関車が見えるなんて。私は高崎に引っ越したいと言ったら(蒸気が間近なので)大反対されました。高崎っていいところですよね。
いやあのみなかみです。
みなかみ町後閑にすんでいました。後閑駅からみなかみ駅までの区間で、ちょうどすれ違うところを見れるのは、後閑しかありません。(七夕の日にすれ違います。)
あの~もしよければ僕が上げてるC 11 66号の動画取り上げてもらえませんか?
昔498号が展示されていた駅ですよね。後関はいったことがあります。そういえば七夕のすれ違いなんてイベントもありましたね。
c61といえば昭和49年頃、大阪姫路間で運転されたSL白鷺号を須磨でみています。これ以降梅小路のc612は、運転されていません。しかも梅小路構内で脱輪してからは、展示運転もされていません。
もりわききくおさん、ご視聴いただきありがとうございます。
脱線した時の動画見ましましたが、作業エラーだったようですね。きっと台車を曲げちゃったんでしょう。動けなくなって残念です。ちょうど良い大きさの機関車だったので特に。
日本の鉄道車輌に付き纏う
軸重という名の十字架…
ご指摘いただいてありがとうございます。南アフリカは日本と同じ狭軌ですが、線路はかなりの高規格で、その軸重に対する十字架があまり無いと認識しています。一方満鉄では自由な発想で柔軟な設計ができ、良い機関車が出来たと思っています。
いつも楽しく拝見しています!
2年前に亡くなった九州出身の父親が、生前たまに蒸気機関車牽引の夜汽車の思い出話などをしていまして、もしかすると動画で紹介されてる鹿児島本線のC61牽引列車に若い頃乗ってたのかなと思うと胸が熱くなりました。C61は群馬での動態保存の印象が強かったのですが、現役の頃の写真やエピソードなど当時を知らない私にはとても新鮮で面白いです。過去と現在をつなぐような素敵な動画をこれからも楽しみにしています。
ご視聴いただきありがとうございます。素敵なコメントも頂きとても嬉しいです。
特に九州と北海道は最近まで蒸気機関車が現役でしたし、蒸気機関車への依存度も高かったので、思い入れも大きい地方なんだろうと感じています。時代は変わって行き蒸気機関車以外の機関車を見たことが無い人も増えましたので、この動画がそのような方々に何か思うきっかけを与えられたり、その昔経験された機関車を思い出していただければと思いながら製作しております。
これからもよろしくご支援いただきますようお願いいたします。
いいですねぇ😃
なんで、SLっていいんですかねぇ😆SL見てると、胸の奥が熱くなります👍️
ご視聴頂きありがとうございます。動画ご覧いただき何か感じていただけたら、本当にうれしいです。今後の活動への励みになります。
梅小路のC61は修復中ですけどかなり時間がかかるそうですね。
1 C61よりC57を修理したい(C57の修理が完了しないと予算がおりなさそう)
2 例の事故から時間が経っているのでボイラが痛んでいる といった理由からですね。最近見たら、ロッドにびっしり付いていた赤錆はとられていましたね。
たしかにC57の4次型はC59もどきと呼ばれる時があるのでC61も同じ類なんでしょうね。
ご視聴頂きありがとうございます。C61-2の最新情報もありがとうございました。
C57の4次形は好き嫌いが分かれていて、私はC59に似ているので好きです。
別の型式を付けても良い暗いと思っていました。
@@Yukkuri-Lab ですよね。だとしたらC63もあったかも…。
C61形の東北本線の寝台特急はくつる号、酒列車でもあった。
ご視聴頂きありがとうございます。
昔の寝台は酒臭かったり、タバコこっそり吸っていたり、お行儀良いとは私には思えませんでした。一等寝台乗るお金は無いですから仕方ないですね。
@@Yukkuri-Lab 清酒白鶴酒造の白鶴酒パックの飲んべえ乗客が多かった事。座席が板ベンチがボックスシートの夜行急行津軽や八甲田号ならもっと凄いことになっていた。
当時のはくつるは寝台だけでなく座席車両も連結していましたから、そんな状態だったのでしょうね。わたしは十和田と八甲田に良く乗りましたが、昼間発車を選んでいたので、座席車で嫌な思い出は無いです。
@@大坂孝幸 さん
実際後年常磐線の中距離電車や客車列車で車内酒盛りが問題視され
又乗客、特に若いOLや女子大生からは徹底的に嫌われ、415系500番台登場時には「座れなくなる。ロングシートは嫌だ」と言うサラリーマンや「酒盛り出来なくなる」と言うブルーカラー層からの不評と
「これで車内宴会で酒臭い車内から解放される」と言う女子大生やOLの両手上げての大歓迎が相半ばしてましたからね。
急行ときわの特急化も「客単価上げてブルーカラーのオッさん締め出して車内風紀を改善する」が第一目的ですからね。
実際急行ときわより高速バスや特急ひたちに乗るOLや女子大生は多かった、特に高速バスはタバコの臭いからも解放されるので女性には大好評でしたね。
そういえば東京駅八重洲から神栖や鹿島方面行きのバスの本数すごい多いですね。選択肢が増えることはとても良いことですが、鉄道に頼らないと生活できない状況が日本には消え去ったのですね。
良い情報ありがとうございました😊C61は扱いにくい機関車でDD51の後塵を拝している印象が強かったですが強い機関車がったのですね😂見直しました😂
プさん、ご視聴頂きありがとうございました。
C57のアップグレードと考えれば、DD51は負けちゃうと思います。
C61、C57の代替機として製造されたので地方でも使えるようにテンダー容量が少ないのが特徴、同じように軽量化したC60が敬遠されたのは改造母体のほとんどがC59の前期型でボイラーそのものが製造不良で老朽化してたからでしょう。
反対にC61が改造名義とは言えボイラー載せ替え元のほとんどD51は戦時生産タイプで状態不良もあってボイラーを再度新品に交換してますからね。
C59の戦後型を幹線用としてまだ残したかった。
C57は改良された4次型ではC59をコンパクトにしたような外観でした。乙線用にしてももう少しパワーが欲しかったのが現場の要望だったのではないでしょうか?なのでC57の継続生産よりC61として製造する方が現場としても望んでいた可能性もありますね。
Mr. Yattsunさん、ご視聴頂きありがとうございます。コメント興味深いですね。特に
>C59の戦後型を幹線用としてまだ残したかった。
これ確かにそうかもしれませんね。
C62並みの運用できますから貴重と言えばそうですね。
別の動画でも言いましたが、C61ってC57より軸重軽いですね。
でも重いから活躍場所に制約ありました。
C61って意外と軸重が軽くてびっくりしました。
C61牽引の寝台特急乗ってみたかった……
ご視聴いただきありがとうございます。そうなんです、軸重は軽いのですが重量はしっかりあって、出力が高いから勾配や曲線が多いと空転が多発するんですね。ちょうど函館本線の山線のC62みたいです。
日豊本線のブルトレ富士が唯一可能性があったことで、蒸気最後のはなむけでC61牽引を走らせるだろうとかなり期待したのですが、無理でした。実際乗客にとってはDF50でもC61でも窓が開かないから分かりませんし、写真撮るファン向けサービスになってしまいますからね。
私は知らなかったのですが、24系残っているのですか?稼働できるのですか?
C61形2号機,早く動態復帰してほしいな!20号機は今も動いているのに…脱線から4年も経っているのにまだ動いてないとは!
ご視聴いただきありがとうございます。本当にそうですよね。JR西とは言え元々我々の財産でしたよね。今後のC61の工程表くらい発表しても良いと思います。
台車に亀裂でもあったらお終いなのですが。
C61は力強くて均整の取れたルックスですね。以前C62はデブだから嫌いだと言っていた同級生がいました。
ご視聴いただきありがとうございます。C61は確かに新しい時代の機関車のようでルックスは良いですね。しかしながらC60は同じハドソンとしてさらに格好良いと思っています。是非C60の動画もご覧ください。
C62はサイズで限界を極めている点でそれはど迫力ありますね。
ストーカーと聞くともう一つの意味を
考えてしまった
ストーカーの威力
ぱかすけしましま さん、ご視聴頂きありがとうございます。
私は最初はストーカーと言っていましたが、最近はストーカというようにしています。
ヘッドマーク付き「はくつる」のカラー画像…
ありがとうございます…m(_ _)m
ご視聴頂きありがとうございます。こういったレアものの写真ですが、長く皆様に出し惜しみで小出しにしているのではなく、ネガやポジの修正にとんでもない時間がかかってしまうのが困りごとです。もっと楽しんでいただける絵をこれからもご提供できるよう、作業の迅速化を図っていきますのでこれからもご支援よろしくお願いいたします。
動画の7:40あたり見ててふと思ったのですが、もしナメクジのままC61になったらプチ流線型みたいでカッコイイのでは?と想像してしまった^ ^
ご視聴頂きありがとうございます。
現実的に戦後のD51では若い番号が使われたのでナメクジは無理だっんです。でもきっとユニークで格好イオC61になった事でしょう。
東北と九州でよく活躍してた上に大型機なのがeh500の金太郎と共通点が多いな
EH500を昨日渋谷で撮影して来ました。
通院で仕事抜け出したついでにです。
都心で日中に金太郎が走るミスマッチが堪らないです。
無残にも解体された1号に捧ぐ
石井さん、ご視聴頂きありがとうございます。そうでしたね1号機無かったですね。
その点、C62は1~3が現存ですからやっぱりみんなC62は好きなんですね。
今後、仙台で修復されようとしているC60形式は、ベビーパシフィックC59からハドソンに改造されたものです。
ご覧いただきありがとうございます。おっしゃる通りですね。ぜひC60の動画もご覧になって頂きコメントいただければ嬉しいです。
C61は優秀なカマでした
メカニカルストーカーが装備されているから
機関助士の負担が減って良かったけどこれが故障すると大変で
スジ屋はストーカーありきで、スジを引いているので機関助士はとんでもない苦労をしいる羽目になります。
なお九州内では特認車両として宮崎~延岡で走行しておりました。
1号機は仙台にある学園の敷地内におかれ、その後解体されてしまいました。
(20号機のストーカーは破損が酷く復元不可能でした)
ご視聴頂きありがとうございます。C61の九州は平たんなところが多いからストーカーはあまり使わなかったんだろうと勝手に思っています。手炊きと共用という意味です。
ただはくつるの奥中山の話を読んで前補機のC60の助手さんの疲労度は極限だったそうですが、C61はストーカーがあるので全然楽だったと知り、C60の限界を知りました。
こちらの視聴者様から伺い20号はやはりストーカー外していたのを知りました。
破損が酷かったのですね。納得です。
スポーク動輪のC55が動態化されないかなぁ
快舟さん、ご指摘ありがとうございます。
C55ー1は梅小路に来たときは動いていたんですけどねぇ。
@@Yukkuri-Lab そうですねぇ、それでもC61は動態保存機として珍しいですから。これはこれで。
C61は高崎で大事に動態保存されていますから、選択せよとなればC59とかC55かな?とおもいます。
日豊本線南部はC55やC57が普通に貨物列車牽いてましたね。
当時鹿児島運転所の近くに住んでいて、運転所の側にある専売公社のたばこ工場へ貨車を牽いたC55やC57が入っていくのを良く見に行ったものです。
霧島超えの旅客列車はほとんどDF50牽引になっていて、蒸機牽引は見た事ありません(日南3号を含め都城以北は割と走ってましたが)。
単線だから列車交換で休み休み走る貨物列車は蒸機牽引で良かったのかもしれませんね。
ご視聴いただきありがとうございます。
当時の小生の行動パターンは、ネガを見ていると都城と宮崎の間、都城から吉松の間が多いです。
一度霧島神宮へ行ってC57を撮影したときは、貨物だけで客車は確かに無かったと思います。
その時の移動の列車の中で、トンネルに入る前に車掌のアナウンスで「この前の列車が蒸気機関車だったので、トンネルの中で煙が入るので窓を閉めてください。」とあったので、蒸気機関車の労働環境改善のためでしょうか、こちらにDF50を多く投入したのかも知れませんね。
C61も特急、急行運用が前提の機関車ですから九州の貨物単機での使用はかわいそうですね。
千歳線(旧線)の補機としてC57を使用していたのは聞いたことはありますが。
でも運転側にすれば出力に余裕があるのは楽でしょうし、整備側もボイラーがD51のものなら勝手知ったるのものだったでしょう。
もちろん提供ボイラーの問題もあったでしょうが、33両しか作られなかったのは残念ですね。100両位あっても良さそうな機体ですが。
ご視聴頂きありがとうございます。動画で自分の考えを言ったことですが、33台分のD51のボイラーが余っていたので作ったもの。後年足りなくなるのはわかっていて、C59を改造することも長期プランに入っていたと思います。ですからD51のボイラーが余っていなければ、C61は無く、C57の4次形をもっとたくさん作っていたでしょう。
動画ありがとうございます。C61とC60の使い方でC61はストーカーが付いているのでシンダが多いから窓の空かない20系の牽引に回し、C60は旧型客車に回したと聞いたことがあります。真偽は不明ですが。
ご視聴頂きありがとうございます。ストーカー付きの爆煙のシンダーのひどさはC62ニセコで経験しました。大げさではなく傘が必要なぐらいバラバラ落ちてくるんですよね。ニセコの冷房車の一等車ならいいでしょうが、普通車はきつかったでしょう。もっとも昔の旧型客車にはシンダが入らないように1枚金属製のサッシがありました。現行の高崎の旧型客車ってついているのでしょうか?
C61 20については、JR東日本の変化なのか運行日が決まりましたね。
4/29のDD51と入れ替わったのは、両方のファンとしては複雑な気分ですが。
C61の軸重って、本当に軽いんですね。C57やC58の軸重と、そんなに変わらない。
それだけに大きなボイラーからの蒸気発生量を生かしての急行仕業で活躍したとか。
軽いからこその「踏ん張りが効かない」「ストップ&ゴーが苦手」の弱点が、
C61 20がC58 180の代役として『ばんえつ物語』仕業に入った時に露呈するとは。
実家で父が撮った写真アルバムを見ていて、梅小路蒸気機関車館(1986年)時代のC61 2がありました。
C61 2とD51 200がモクモクと煙を吐き、その前で耳を塞いでいる小さな私と兄の後ろ姿もありました。
両方とも赤プレートだったから、検査明けだったのかも。11番庫後方が展示線だった時代です。
梅小路のC61 2は、例の脱線事故以来、火が入っていない様なので、色々と不安です。
本線運用中のC57 1とD51 200が優先されるのは当然としても、小型で使い勝手の良いC56 160、
元々大人気のC62 2、『鬼滅の刃』で一躍注目が集まった8630。C61 2の影が薄くなってる様な...。
ご視聴頂きありがとうございます。梅小路昔は煙もくもくでした。今は喫煙コーナーでしか許されないのですか?C61-2はきっと大丈夫ですよ。予算の関係で遅れているだけではないでしょうか。C11の化粧直しも終わったので、そろそろ始まるのではないですか?私は新幹線からは見るのですが、数年行っていません。調べたいことがあるので、是非行きたいのですが。
@@Yukkuri-Lab
1986年当時は、最初から静態保存であったB20、C51、C53、C59、D52を除いて全て『有火保存』対象で、絶えず3〜4両は火が入っていた様です。
父も「弁天町(交通科学博物館)で喜んでいるお前たちに、本物を見せたくてな」「山口は遠すぎたから」と言っていました。
実際にC11 64にも火が入っていて、その前のでの写真もありました。
当時は無邪気に喜んでいた記憶しかないのですが、今とは比較にならない位にモクモクだったのではないかなぁと。
梅小路が開館した当初と今は本当に変わりました。以前は機関区のままで入場者のための通路があっただけだったと思います。C62一文字の動画にありますが、扇型庫の後ろに線路があってそこで展示運転していました。当時の面影を追ってしまう私達にはかなり淋しいのですが。
高崎のC61 20はレストアの際にメカニカルストーカー(自動給炭機)を撤去した為に重量バランスが悪くなって空転を起こしやすくなったみたいですね。
撤去部分に死重のようなウエイトを搭載しておけば、幾らか良かったかも知れないですが…。
メカニカルストーカーを使用すると細かい石炭カスが凄まじかったとの事ですが、乗務員にとっては負担軽減で好評だったのは間違いなかったみたいですね。
なるほど、ストーカーを取り外したことで重量バランスが崩れたことは十分考えられますね。というか上越線はC61の走る場所ではないのでは?とおもいます。C62の山線みたいなところですから。
ストーカーは別の視聴者様にもお返事したのですが、シンダの降り注ぎは半端ないです。音を立ててバラバラ落ちてくるイメージです。C62ニセコでしたが、これは当時でも酷いと感じました。
@@Yukkuri-Lab 故にC62が東海道本線で特急牽引する時はストーカーは使わず手焚きで重油併燃をしてましたね。東海道本線の特急は専用の高カロリー練炭を使っていたのですが、ストーカーで粉砕されてカスが多かったそうです。
山陽本線のあさかぜは昭和33年秋以降は全く気にせずストーカーガンガン使ってたそうです。
又はつかり牽引でもオシ17が使用されるようになってからストーカー使いまくっていたそうです。
昔C61の延岡駅だったと思いますがストーカーを操作させていただいたことがあって、ガリガリガリ・・・シューシューという感じでした。九州では練炭では無かったので、C62ニセコの練炭だと細かく粉砕されてさらに状況は酷かったというわけでしょう。
名機D51のボイラーを流用したC61。動輪配置ハドソン(2-C-2)はやっぱり見ごたえがある。同クラスのパシフィックC57「貴婦人」もいいが、希少なハドソンでC62の影に隠れていてもやはりこのC61はやはり良い。
ご視聴いただきありがとうございます。ハドソンは足回りの凝縮感がいいですよね。個人的には日本の機関車で一番好きなのはC59なのですが、足回りがぎっちりしているのでC60も好きです。その面影を持っているC61も良いですね。パシフィックではC57の四次型がスッキリしつつC59の面影を持っていて好きです。
C61の実性能は
C60100番台>C61>C600番台
と言ったところですね。
これは原型機の熱効率差がモロに反映されているからで
燃焼室付きでD51より効率の良い戦後型とボイラー長過長でD51より熱効率の悪い戦前型の差です。
ご視聴頂きありがとうございます。鋭いご賢察もとても興味深いものがあります。
個体での差はともかくとして、C60がC59と一緒に消え去りC61はその後も蒸気最後まで残ったことを見ると、やはりC61は使い勝手がよかったのか、たんに運が良かったのかですね。
C61は、ボイラーの太さのバランスが良くて好きと言う人が、多いです。
ご視聴頂きありがとうございます。個人的にはC61を取り上げてC60の方が格好いいでしょうと言いたかったものです。テンダーの短さが…
同時期に登場したC62が余りにも華やかだったものだから、それに隠れてC61は若干マイナーな機関車だったのは否めない。
確か東北線でも貨物列車を牽いてたと思う。
鉄道模型大好きおじさん、ご視聴頂きありがとうございます。
C61は東北と九州だけでしたからメジャーだったとは言えませんね。
C60も同じでけど。
東北本線の貨物というのは急行荷物列車ではないでしょうか?
なるほど。
そうでしたか。
C6120号機がJR東日本高崎車両センター配属で、動態保存されているが、京都鉄道博物館の動態保存機C612号機は、修繕工事に時間がかかり、本格的な改修工事に入っていない。
早く、本線走行シーンを見たいものだ。
いつもご視聴頂きありがとうございます。20号は4月から営業運転再開ですね。このまま休車にでもなるのではと心配していたのでホッとしました。2号機は梅小路開館当初白鷺号とかを姫路まで走らせましたね。
もう一度そんな姿が見られるのか?期待したいですね。
現状では本線走行させる区間がそう無いですから困難
理由は山口線はC57とD51で賄えるし
北陸本線米原ー木之本間ではC56運行当時でも大赤字でしたからね。
赤字の原因はSLそのものの運行経費と経費の割にお金が地元に落ち無いことです。
実際撮り鉄はサクッと車で来て地元の産品も全く買わずに食事はカップ麺で済ませてゴミだけ置いていく、通過後悪態ついてさっさと逃げる、クズが多く、昔みたいに撮影地近隣まで電車で来て後は道具持って徒歩で行く、帰りの食事は地元の食堂又は駅弁食べるので地元にお金が落ちる、と言う事が無い、つまり「良い映画はちゃんと正規のお金払って見る」と言う習慣が根付かないと復活は無理でしょうね。
実際C62が復活しないのもこれが原因。
北海道で復活したのはUCCがお金出していたから(カフェカーもUCCが営業)で、デフレでUCCが赤字になると運休に追い込まれましたからね。
C62ニセコも青函トンネルを通ってJRでやってくるファンを少しは期待したようですが、私を含めて多くが飛行機だったですね。徹底的に収入増に拘るならば英国に倣って、豪華ディナー列車を上野や東京から走らせて高崎から蒸気にするとか。一人一万円は超えますけど集まるでしょうね。でも食堂車が無いですね。
@@Yukkuri-Lab
結局目先の銭勘定に走らざるを得なくした
大和魂と燃える男の根性と気合いで我慢して鉄道を使うべきなのに使わない
目先かつ自分の利益しか追わずそのくせプライドだけエベレストより高く常に上から目線でしかものが言えずそう言う態度しか取れない日本人のどうしようもなく物臭でぐうたらな癖にどうでもいい時だけ出るせっかちさ、全てはこれです。
厳しいご指摘いただきありがとうございます。
そうですね、英国ではツアー運営会社が募集して、機関車+食堂車でツアーを企画して走らせていますね。遠いところから乗らなくても、ロンドンのど真ん中から発車している。それが年一回ではなく毎週どこかで複数のツアー会社がやっています。日本で言うと貸切バスツアーですが、英国だとそれが蒸気機関車で成り立っていて、頻繁にあるので別に珍しいわけではないので、駅や沿線が激パにはならない好循環が成り立っている。なぜ日本でそれができないのか深く研究したわけではないので軽々に言えませんが、昔のC62ニセコの失敗が尾を引いているのではないでしょうか。
昭和47年、どうしても61に逢いたくて宮崎へ、ところが梅雨末期の大雨と重なってしまい
結局大淀川橋梁で少し写せただけ。夕方まで粘るつもりが、日豊線が大雨で止まりそうとの情報で
急遽、西鹿児島発の (きりしま) に変更、日南線・大隅線の (しいば) で鹿屋へ、そしてバスとフェリーで西鹿児島へ。
ところが大雨は熊本に、鹿児島発の夜行で関西方面行きで動いたのはラッキーな事に (きりしま) だけ。
(きりしま) も遅延確実で発売停止になっていたらしくて緑の窓口では大騒動。
がら空きの583も熊本付近で停まってしまったらしく、京都へは4時間近く遅れて到着、なんて事が。
ご視聴頂きありがとうございます。わたしも昭和47年の8月に北九州に行ったとき集中豪雨にあってひどい目に会いました。九州は天候も強烈で、虫(蚊とみみず)もでっかくてカルチャーショック受けました。
@@Yukkuri-Lab 様
返信ありがとう御座います、私は7月の10日位でした。
別府から行橋までの最終鈍行では雷が、そして行橋駅の待合室では大量の蚊が出迎えてくれました。
私は吉都線の駅ででっかい蚊に刺されて、50年以上たつのにまだ足の甲に傷が残っています。九州の蚊は恐ろしいです。
やはりC59 改造のC60を大宮鉄博に保存してほしかった。できればイギリスのように新しいボイラーに載せ変えて本線を走らせられないだろうか? 記憶が正しければ鉄道ファンにC601 とC61の重連によるはくつる青森駅到着写真が載っていたような気がする
ご視聴頂きありがとうございます。C60が動態となればうれしいですよね。でも仙台市民が手放さないでしょう。はくつるは青森到着が6:10なので日が長い時期は走行写真も撮れたでしょう。C60の前補機は半年ぐらいでDD51に変わっちゃったんですよ。